son's drawing of ocean animals

ホームスクールを始めた経緯と確信

ホームスクールを決断するのには様々な背景、理由があると思います。我が家がホームスクールをしているのは信仰が大きな理由ですが、最初から迷わず「うちはホームスクールをする!」という感じでは決してありませんでした。

経緯

長男が5歳の頃、最初にホームスクールをしたいと言い出したのは主人でした。それに対しての私の反応は、「いやいや、実際に子供達に教えるのは私ですよね。無理無理、気が狂う。」でした。自分に子供ができるまで、子供がそもそもあまり好きではありませんでした。末っ子として生まれ、周りの人に遊んでもらって育った私は、子供との接し方がよくわかりませんでしたし、学習は学校に任せておけば良いという考えでした。

そんな時に「チア・にっぽん」という、聖書を土台としたホームスクーリングを基本とする教育環境の整備を目指す団体が毎年行っているカンファレンスに誘われました。そこで、「ホームスクールというのは、学校をそのまま家に持ち込むものではない。ホームスクールをすることで、子供の強み弱みを早期に発見してあげて、その強みを最大限伸ばしてあげることができる。そしてその方法は無限大。子供の最も興味のある方法で教えてあげれば良い。」という趣旨の話を聞きました。同時にカリキュラムも見始め、「これなら私にもできるかもしれない」と思い始めました。

その秋から、幼稚園に通わせながらも少しずつホームスクールを試し始め、長男が1年生にあがった4月(次男年少、長女2ヶ月)から本格的にホームスクールをするようになりました。

確信に変わった時

ホームスクールが与えてくれる「時間的自由」は好きでした。色々なものから解放された感があり、「これを提出して下さい。あれを持って来て下さい。」というようなことがないし、自分たちのスケジュールでホームスクールをすることができるという自由がありました。

でも、毎日その喜びを持ち続けることはできません。子供達が言うことを聞かなかったり、思うようにいかなかったり。数ヶ月が経った時に「もう私にはできない。もう無理!」と主人に言ったことがありました。でも、結局はそのことがきっかけで「主人がやりたかったホームスクール」が「神様からの私に対する召し」に変わったのです。

ホームスクールが大変と言うより、子供たちとずっと一緒にいるのが大変で、「もう無理!」となっていました。そしてその時に神様が励ましを送って下さいました。友人が訪れてくれ、聖書の教える「子供の親に対する態度」がどうあるべきか、「子供の訓練をどのように行うべきか」を資料を持って説明に来てくれ、改めてしつけに関して気付きを与えられました。子供が悪いのではない、私達親の子供に対する対応を改善すべきなんだと。また、沖縄に住んでいる知人から、このブログでもよく紹介するインスタントポットがギフトとして送られて来ました。神様が、「これで、料理が楽になるでしょ。さぁ、頑張りなさい!」と仰っている気がしました。そして、「あぁ、これは神様が励ましを送ってくれている。私が神様の願う正しいこと(ホームスクールをすること)をしているからなんだな。」と、そこで「神様が主人に召したホームスクール」が「私にも召して下さっている事」へと変わったのです。

その後も大変なことは多々あり、「学校に送ってやる!」と思うこともたくさんあります(笑)。ですが、神様が召して下さっていることを思い出し、都度自分を戒めてなんとか6年続いています。

見よ 子どもたちは主の賜物 胎の実は報酬。 詩篇 第127篇3節

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